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痛みの感じ方は人それぞれ違う

まんまタイトルの通りなんですが、痛みの感じ方と言うのは、人によって全く違います。

この事について私の考えを書こうと思うのですが、感じ方の違いを肩こりや頭痛なんかで例えるのは、痛い場所が目に見えないので中々難しいです。

なので今日は、苦手な方には申し訳ないのですが、想像するとそれだけで背中がゾクゾクしてしまう内容、カッターや紙や包丁なんかで指先を浅く少し切ってしまった。分かりやすいのでこれを使って例えてみます。

こんな風に指先を切ってしまった時って痛いです。皮膚を切っているのでそれに対して痛みが起きるのは痛点にヒットしていれば誰しもあります。

しかし、どのように痛いかと言う感じ方は、人の数だけあって人の数だけ違います。


ある人は「ちょっと痛かった。絆創膏貼っておけば平気」で終わってしまう。しかしある人は「凄く痛い。しばらく手が使えない」となります。

もっと言えば「凄く痛いけど我慢出来る」と言う人も居るし「こんなのほっといても治るし気にならない」と言う人や「気になって仕方ない。何も手に付かない」と言う人も居る。「熱い・ジンジンする」など、そもそも痛みじゃない感覚で表現する人すら出てきます。

こんな風に感覚の違いは人の数だけいくらだって出くるわけです。


こう言う話をすると「感じ方は1人ひとり違うって言うけど、『わかるわかる〜私と同じだね。一緒だね』って言う人たくさん居るよ」と言う意見ももちろん出てきます。

しかしそれは、お互いに理解をする為に(会話・社会生活を成り立たせる為に)とりあえず同じ言葉を使って合わせているだけであって、同じ言葉で表現していても、よくよく聞いてみるとそれぞれが実際に感じている内容は近い事はあっても同じという事は無く

私が感じているのと同じ様に、みんなも感じている。
は、ぶっちゃけどこにも無い。

と言う所に毎回着地します。


共感にも色々あるので全てがそうかは専門家では無い私には分かりませんが、今回話している様な意味での共感と言うのは無いのだろうと私は考えています。

そもそも、その人にしかその人の感覚・感じたものは分かりませんから、たとえ脳みそを直結したとしても、1人ひとりそれぞれのバイアスやらなんやらベースがあるので、共感は難しいんじゃないでしょうか。


あっ、それわかるわかる〜。分かってあげたい(上から)・自分の感覚を理解して欲しい。であって、相手のことがわかる・相手を理解した。では無いです。

相手には相手の感覚があって、あなたにはあなただけの感覚があります。
お互いの感覚は分からないものなのだから、同じ様に理解しよう・されよう、感じよう・感じてもらおうとする事は、どんなにひっくり返っても出来ないです。

そう言う時を極端な言い方・酷い言い方で一言でまとめるとマウンティングしたい。と、構って欲しい。です。
要は相手がどうとかじゃ無くて、自分が気持ちよくなりたい。だけです。


だから、「わかるわかる〜。おんなじだね」よりも「ああ、あなたは今◯◯なんだね(それはどんな感じなの?)」の方がいわゆる理解と言う形になると思うし、お互いにモヤモヤしないんじゃ無いでしょうか。

自分以外の人の事はどこまでいっても他人事なのだから「他人事は他人事として客観的にそのまま受け止める」と言うスタンスが一番いいと私は思っています。

自分の痛いは相手には分からない。
相手の痛いは自分の物差しで想像しているに過ぎない。
「痛い」は1人ひとり違ってそれぞれの感覚。

無理して感情的に相手を理解しようとしなくていいし、感情的に自分を理解してもらおうとしなくていい。
それよりも、客観的に相手が今どう言う状況・状態にあるかを見る事、自分がどう言う状況・状態にあるかを伝える事が大事だよ。

って感じです。


ここまで一気に書きましたが、これはあくまでも私の考えですし、みなさんそれぞれ色々な考え方があるのが自然だと考えています。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。


※咄嗟の判断・反射的な行動に関してはまた別の話になりますが、むしろそう言う状況の時の方が感情が入る余地が無いので、究極の客観視が出来ている時なのかもしれません。

過去記事はこちら(アメブロ)

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